山梨 芳樹の木製 インテリア&オーダー家具 達
2024-03-13T07:46:51+09:00
bonbois
インダストリアル・デザイナーとしての40年の国際的実績を基に、飛騨高山の地で家具の制作を学び、手創りの家具の新たなデザインを追求する、クリエィター。
Excite Blog
ご無沙汰しております。2024年 最新の作品等
http://bonbois.exblog.jp/29957448/
2024-03-13T07:46:00+09:00
2024-03-13T07:46:51+09:00
2024-03-13T07:46:51+09:00
bonbois
・最新の作品
皆様、お元気ですか?最近はすっかりご無沙汰しております。日記的に記事をUPする事は、FBを主にすることが
習慣化していて、このブログは直接な反応がないので、ついついご無沙汰しております。
最近は、世界で2つの大きな戦争が起こり、日本国内は戦争の影響もあり、インフレ円安、何から何まで値上げ値上げで、庶民の生活は益々苦しくなる日々が続いています。
こういう現状で、我が工房のオリジナルインテリア木製品の i phone の充電スタンドを値下げしました。
新価格 ¥2900,-(内税) サイズ:W90mm, L93mm, H38mm,
無垢のウォールナット材を手作りで入念に仕上げてあります。
2本のペン等が差し込めます。底面にはスポンジゴムの滑り止めが付いています。正面にはMidnight Greenの、ABのデザインロゴが樹脂象嵌で入っています。是非この機会にご注文下さい。
ご注文はFB のメッセージボード、または090-1039-0080 まで!!
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2023年のデザインについて その2
http://bonbois.exblog.jp/29495163/
2023-02-12T04:21:00+09:00
2023-02-12T05:09:55+09:00
2023-02-12T04:21:49+09:00
bonbois
・デザイン雑感
2005 年から飛騨高山の森林匠塾という、木工の基礎を学べる言わば塾にはいり、家具創りの基礎テクニックを 、それこそ鉋の研ぎ方から教わりました。私は歳の事もあって特別にお願いして、2年で全てを教えてもらえる、カリキュラムを組んでもらいました。その時の記念すべき最初のプロジェクトで作ったのが左のモダン仏壇です。
ハードメイプルの無垢材で仕上げはフレンチフィニッシュです。デザインは勿論私ですが、 ソ連生まれのキャビネットメーカージェイムス・クレノフさんの作品にインスパイアされた作品です。
飛騨高山では、この塾の他に国際工芸学園という学校で講師としてデザインを教えながら、制作の勉強をしました。また家具の量産工場で働いたりして実践の家具つくりを体で覚えました。飛騨高山には2年5カ月で修行生活を終え東京にもどり工房を見つけたのが7月、作品を出来る設備が整ったのが2008 年9月でやっとのことで作品をつくりはじめました。
この頃作ったのがこのリビング用コーヒーテーブル奥の既存のテーブルに合わせてデザイン、仕上げの色を合わせて欲しいというクライアントの注文に合わせブラックチェリーの無垢材(一部ツキ板)でオスモカラーでしあげました。
この頃は、アトリエを開いたばかりで、勢いもあり大型のテーブルを作りた
くてこの後すぐにホームオフィス用のテーブル制作に着手しました。
その3に続く。
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ご無沙汰しております。2023 年デザインについて
http://bonbois.exblog.jp/29495149/
2023-02-12T02:33:00+09:00
2023-02-12T04:54:12+09:00
2023-02-12T02:33:53+09:00
bonbois
・デザイン雑感
第2の人生を始めたのが55歳の時で、修行期間が約8年、東京に戻りBespoke ( 注文)の家具工房Atelierを開いて 以来約11 年、 私は今年で74 歳になりました。
この下の写真は、工房を開いて間も無い頃、新しい日本の家具を標榜し、茶道の棚からインスパイアされて
創ったデスクトップ棚の試作です。華奢に見えて堅牢な江戸の指物の伝統を踏まえた上で、現代のインテリアに融合 するアピアランスにしたかった物です。
私の第一の人生(1st Chapter)は言わば、日本の大戦後の経済発展とシンクロした大量生産大量消費をベースにしたデザイン活動の人生。そして1991年にバブルの崩壊から、 失われた10年はバブルで被った痛手からの復活そして次の人生目標の模索時代でした。そしてそのころ私は直観として「大量生産の時代は終わった」と
確信したのでした。30年弱続けたプロダクト&カーデザイン事務所DOX を自ら畳み、木工作家兼家具デザイナーの道を、おぼろげながら目指したのが2004 年でした。次回に続く
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世界のデザイン傾向
http://bonbois.exblog.jp/28170605/
2020-07-19T07:36:00+09:00
2020-07-19T07:36:47+09:00
2020-07-19T07:36:47+09:00
bonbois
・interior design
VICTOR VASILEV (ビクター・ヴァシレフ)Architecture, Interiors and Products Pics今日の気になるインテリア&プロダクトは、2004年に事務所をミラノに開き、多くのイタリアのインテリア、キッチン、トイレ・バスルームのシステム設備会社(Boffi,Living Divani,MDF, Italia and Antrax)の為に、新鮮でミニマルな製品をデザインしているVICTOR VASILEV (ビクター・ヴァシレフ)の作品を紹介します。家具やインテリアのビジネス規模からいえば、中国がダントツですが、やはり本場イタリアは常に新しいクリエイションをの為、メーカーは新しい才能を求め、デザイナーも世界のあらゆる所から、イタリアを目指して集まってくる。このVICTOR VASILEV (ビクター・ヴァシレフ)はブルガリア生まれで、15歳の時にイスラエルに移住、ミラノとデンマークで建築やインテリアを学んだ、46歳のベテラン。
最近のデザイン界の傾向ですが、東欧とか中東出身のデザイナーが目立つのは、資本主義の先進国は、文明的発展が限界にきて、法律的にも社会インフラでも、がんじがらめで、極めて活動が鈍い。これに対し、発展途上国は、あらゆる意味で発展へのモーティベーションが高く、社会的にも自由度が高い。このようなバックグラウンドを持つ多くのデザイナーが自国を離れ、イタリアやフランス等の高度な文化的歴史を持つ国で学ぶと、自国の文化や経済的な差が、自分のクリエイティビティに良い影響を与え、より新鮮な創造が出来ると思われる。その意味で、イタリアで実績を上げた発展途上国(東欧、中国、インドを含む)出身のデザイナーから、目が離せない。彼ビクターのデザイン・アイデアは”形態と材料の純粋性””たゆまの無い探究から閃きが得られていると語る。
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近況報告 ご無沙汰しております。
http://bonbois.exblog.jp/28168168/
2020-07-16T19:46:00+09:00
2020-07-17T05:32:10+09:00
2020-07-16T19:46:30+09:00
bonbois
・ここなら 住みたい
家具の注文数は、がっくり落ちましたが、次のオリジナル作品の試作や、過去の作品に手を入れたりして、体を動かす制作活動は相変わらず、毎日続けています。
Net 環境の恩恵で、世界中の情報が集められるので、時代に即した家具創りの為の研究には事欠きません。家具の舞台としての有名住宅とインテリアの画像と情報を集めています。
最近は特に、ミッドセンチュリーモダンの住宅に興味を持っています。
今日、ここに載せた画像は1958-9年に北米 メインランド州、ボルティモア・ベアヒルに建てられたHooper House です。建築家はバウハウス出身で、曲げたパイプの椅子でも有名なマルセル ブロイヤーとハーバード ベックハードです。施主は慈善家のEdith Hooperです。
この写真の様に、家の真ん中に位置する中庭を中心に、機能が別な室を周りに配置したレイアウ トで、中庭の自然を身近に感じながら、閉ざされた安心感がある空間構成は大変魅力的です。
詳しくはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Hooper_House_(Baltimore_County,_Maryland) を
参照してください。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marcel_Breuer
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大量生産依存の経済産業構造を変えることがこれからの課題
http://bonbois.exblog.jp/27606474/
2019-05-19T11:09:00+09:00
2019-05-19T15:43:08+09:00
2019-05-19T11:09:13+09:00
bonbois
・デザイン雑感
今朝早く、デンマーク家具とデザインの現状を伝えるVideoを観ました。
私は30歳から25年インダストリアルデザイナーとして働き、2004年から家具のデザイン・制作を自ら行う”Bespoke Furniture Builder"の道を歩き始めた訳ですが、その転換の動機となった背景は、グローバリズムの影響で、企業が余りにも商業主義に走り、デザイナーを使う理由も、売れるモノをデザインさせるという事が、第一義になり、売上げを伸ばす事が全ての目的のなかで、最優先事項になってしまったことが一番の理由でした。
イタリア・インダストリアルデザインの巨匠エンツォ・マリは次の様に言いました。
「かつてデザインは、平等の名のもとに優れたスタンダードを生み出す役割を担ってきた。しかし高度成長を経て、目先の商品を売るための手段に成り下がった。私は今、デザイナーであることを恥じている。 これから提案するのは、目先の経済ではなく、栗の木を植えその木が成長し、やがては人々がその実を味わい、木陰で憩えるような、長い目で未来へと持続するプロジェクトだ。企業はそうした視点を持つべきではないか」
1950年から20年間程は大量生産によって、多くの人々の基本的な生活水準は前の時代と比較して飛躍的に上がったのは事実ですが、80-90年代に入ると
消費社会が円熟してくるに伴い、基本需要は満たされたマーケットで、さらに売り上げを上げる為、メーカー間の競争が激化、商品のデザインは消費者の利便ニーズを満足させるデザインでは無く、自社の売り上げを伸ばす事が最優先の、ライバルに対して目立つ等の、メーカーの都合に合うデザインが採用されるようになりました。
小国デンマークの家具が世界的評判を得たのは何と言っても1924年に設立された王立美術大学建築科に新設された家具科の主任教授のコーア・クリントと
彼が育てたハンス・J・ウェグナー、ポール・ケアハン、アルネ・ヤコブセン等の優秀なデザイナーそして建築家、その人達のデザインを実現するカール・ハンセン、PP Møbler、ニールス・ヴォッター等の小規模な家具工房の存在でしょう。
ウェグナーは自分でプロトタイプを作る程、木工技術を知り、自分の手で木を削り椅子を試作しました。このデザイナーと小規模工房の卓越したクラフトマンの協力があってこそ、デンマーク家具の伝統が作られました――続く
https://www.youtube.com/watch?v=Fl0_-PRr-hs
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今、改めて日本の家を考える。
http://bonbois.exblog.jp/27306572/
2018-12-26T14:23:00+09:00
2020-07-21T20:36:03+09:00
2018-12-26T14:23:02+09:00
bonbois
・デザイン雑感
随分おひさしぶりです。最近はUPと言えば、FBに流れがちで、ついついこちらのUPが疎かになりがちですが、やはり長く残るモノ、連続性ではブログに長があり、またWeb上の環境からいっても、日記の様に自分の本音を素直に書けるのもブログです。
そんな訳で、今日は久しぶりで、日本の住宅について、最近考えた所を述べてみたいと思います。
聴竹居という建物は建築家の藤井厚二(1888-1938)が1928年、約1万坪の土地に2年毎4回、自宅を建てては友人に譲るということを繰り返し、とうとう自身の理想の「真に日本の気候・風土にあった、日本人の身体に適した住宅」という目的を実現した、5回目に建てた終(つい)の住まいで、彼は約10年間、聴竹居で暮らし、1938年(昭和13年)、住宅建築に捧げたその短い生涯を49歳で終えました。
藤井の出生は、広島の造り酒屋で金貸しの生家の次男坊とくれば、昭和になるまでの日本では金持ちの象徴の様な家の次男なら、家業に対する責任は無いし、経済的、文化的に大変恵まれた環境に育ち、頭も良かったのでしょう、1913年東京帝国大学建築家を卒業後、竹中工務店に就職、大阪朝日新聞社などの設計を手がけ6年間勤務。同社退職後から約9ヶ月間、欧米諸国を巡遊。この際、環境工学への関心を高めたと言う。欧米から帰国した後の1920年、同郷の武田五一が創設した京都帝国大学建築学科に招かれ1926年(大正15年)に教授となった。聴竹居は。近代住宅建築の名作として名高い。この木造平屋の住宅で藤井は環境工学というアプローチから日本の気候・生活・風土と西洋的な空間構成とを融合させる優れた手法を提示した。木造平屋で、畳敷き小上がりを備えた和風住宅のようでありながら、椅子や家電を置く板張り部屋などで近代生活にも対応し、また床下と天井裏を結ぶ通風孔による自然空調など蒸し暑い日本の気候に配慮している所は、遥かに時代を先取りしている。近年、聴竹居とともに藤井は環境工学の先駆者として再び注目を浴び、多くの建築誌で取り上げられるようになった。今の様なポピュリズムが蔓延している社会だと、いわゆる秀吉の様な人間には理解があっても、恵まれた出自の人が、業績や世の中の為になってもあまり注目されない。しかし、真の平等なら出自にかかわらず、業績は認めるというのが真っ当だ。今は死語になったのかもしれないが、日本には道楽といういい言葉がある。道を楽しむ、道に遊ぶ、いかにも道教的な言葉だが、江戸時代から、金に余裕がある人間が勝って気ままに自分の好きな趣味に走ることを総称した言葉だ。今の世の中は道楽が無い、金はいくらでもあるかもしれないが、余裕がない、余裕という概念が解っていない。藤井も聴竹居を建てたころには、建築の業界からは、妬み半分で、正当には評価されていない。今この21世紀になり、道楽の意味、道楽者の存在意義を改めて考え直す事も、豊かな日本の為になる事だと、あたくしは思う。
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何を創るか?創らないか??(Rational or Irrational)
http://bonbois.exblog.jp/26208670/
2017-12-06T16:08:00+09:00
2017-12-06T21:49:36+09:00
2017-12-06T16:08:04+09:00
bonbois
・デザイン雑感
最近、考えている事ですが、モノ(不必要なモノが85%)が溢れかえる現代は、やはり資本主義的経済の終焉の断末魔という気がします。
モノを生産して、販売して利益を上げ、金に換え、その金で又モノを買うとい。そして全ての人間は分業によって生産に関わる。1,2次産業以外に携わる人々も、生産と消費という基本システムを補完する産業人と言えます。
地球上に75億の人間が存在していて、その内の約11%(8億1500万人:2016年)の人間が飢餓に苦しんでいる事実、一方食料(農業生産品)の生産量の1/3(13億トン)は価格を維持するために廃棄されているという事実。
そして経済格差問題。今や世界の1%の富裕層の保有する資産は、その他99%の人達の資産全てを合計した量よりも多いという事実。
こういう事実を眼前にするにつけ、今の世界の経済システムは、民主主義的世界の発展や人類の発展に貢献しない、間違ったシステムではないだろうか?という疑念を持つようになりました。
20世紀の資本主義社会では、ほとんどの人間が、大量生産、大量消費というシステムに組み込まれ、そのシステムに適合するように、教育され、順応させられてきました。今そのシステムが機能しなくなり、大量生産のメーカーは従来のような終身雇用では人を雇えなくなり、正社員数は年々減少、2016年の世界の若年失業率は14.5%と高く、今のシステムの時代への不適応が目立ちます。
しかも、1971年ニクソン大統領が、ドル―金の兌換停止、輸入課徴金の導入を世界に向け発表し、対ドル為替ルートも固定から変動相場制に変わり、ドルー極の金融の世界体制が、ドル・マルク・円の3極体制になりました。(ブレトン・ウッズ体制の崩壊)このため、マネーゲームによる投機、投資の効率は通常の労働賃金の何千倍にもなり現在の経済格差を招くに至りました。続く
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Max Bill hommage chair
http://bonbois.exblog.jp/24217309/
2017-05-22T17:59:00+09:00
2020-07-28T07:15:51+09:00
2017-05-22T17:59:43+09:00
bonbois
・過去のデザイン
私の大学は、在学当時、バウハウスの影響を強く受けた教育方針を取っていたので、大学の授業にほとんど価値を持たなかった私でも、多少の影響は受け、バウハウスそのものには大変興味を持った。
20世紀の前半から、ヨーロッパ各地で帝国が革命によって共和国になる事態が顕著になった。ドイツも例外ではなく、第1次世界大戦後にドイツ革命(1918)が勃発,ドイツ帝国は崩壊、大公の統治が終り、ヴァイマール共和国が成立。1919年、工芸学校と美術学校が合併し「国立バウハウス・ヴァイマル」が成立される。創立宣言は初代校長はグロピウスが行った。
ご存じの通り、バウハウスは20世紀のデザイン、美術、建築の世界に、機能主義的且つ合理的な、いわゆるモダンの思想の視覚化に於いて、多大な影響を与えた学校だったが、その活動は1919年~33年までの14年と甚だ短い期間だった。
ドイツでの、バウハウスの継承としては、1925年ヴァイマルからデッサウに移転「私立バウハウス・デッサウ」となり、校長はハンス・メイヤーが務めた。
メイヤーはバウハウスの経営を黒字化させ、発展させたが、公然たる共産主義者だったため、ナチに敵対視され、1933年にナチによって閉鎖させられる(実際は、ナチの圧力で、3代目校長のミース・ファンデル・ローエが自身がベルリンで閉校)
その後のバウハウスのスピリットの継承はアメリカに渡り、モホリ・ナギによりニューバウハウス、School of Design Chicago,を通し、最終的にはイリノイ工科大学にて引き継がれた。
ミース・フェンデル・ローエもアメリカに亡命、アメリカでモダンの代表建築家として活躍、バウハウスの理念の継承に貢献した。
さて、今日はこのバウハウスに学び、後(1953年)にオットー・アイヒャーと共にウルム造形大学を設立したMax Bill と彼がデザインした
1954年の「Ulmer Hocker」(棚の要素、スピーカーのデスク、タブレットまたはサイドテーブルとしても使用できるスツール)があります。スツールは、ビルとウルム学校のデザイナー、ハンス・グェッロットの共作であったが、しばしば「ビル・ホッカー」と呼ばれている。
学生の為の備品としてデザインされたこの椅子は上記のごとく様々な用途に使用可能でまた大変軽く、持ち運び易かった。Max Bill はスイス人で、建築家、画家、artist、タイプフェースデザイナー、グラフィック・デザイナー、インダストリアル・デザイナーのまさにマルチタレントの代表のような人物で、バウハウスの理念を継承しながらも合理主義者ではなく現象学者と呼べる存在でした。
このスツールの他に、彼の作品として
世界的に知られているものとしては、長年彼の
クライアントであった独ユンハンスの為にデザインした
この壁掛け時計を記憶されている方々は
多いでしょう。
私はこのウルマー・ホッカーへの尊敬の気持ちと、モノ作りの合理性の
ヒントを求めて、試しに自分で作って見ました。それがここにお見せします。MBHチェアです。
ただ、これは当時、注文椅子でもあったので、クライアントの注文で、ナラの厚板を使用しているので、本来のウルマ―・ホッカーの軽量という利点がそこなわれていますが、一枚の板を3枚にするだけで出来上がり、立てても横にしても使える合理性等々、制作してみて大いに得る所がありました。
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ご注文承り中
http://bonbois.exblog.jp/24169449/
2017-05-12T19:43:00+09:00
2019-07-30T15:36:29+09:00
2017-05-12T19:43:02+09:00
bonbois
・制作中 デザイン中
現時点2019年7月30日。以下の記事は2017年5月のものですが、価格は継続しております。
皆様おげんきですか?只今Atelier du Bonbois では本年分のご注文を承っております。当工房は私が一品一品手作りで制作していく為、制作可能な数に限りがあります。本年から6月末までに注文をまとめて頂き、後半6か月で制作及び納品をするというシステムに変更致しました。現状を踏まえ、私の作品で最大のご満足を皆様にご提供したいという思いから、到達したシステムです。なお6月以降に制作した新製品はこの限りではありません。
ご注文を承る椅子及びpremium shoe-horn(プレミアム靴ベラ)は次の3種類です。1. Joumon Chair (ダイニング椅子)限定5脚(写真上より1~3)
2. Waraku Chair (和風ダイニング椅子 限定5脚(写真上より4~7)3. Orbo (プレミアㇺ ロング靴べら) 限定10本(写真上より8~10)
1. Joumon Chair(ダイニング椅子)
サイズ:W435 D510
H760(SH430)mm 材質:アッシュ無垢材 仕上げ:ドイツ製天然健康オイルクリア仕上げ 色:アッシュ
シート仕様:手染めファブリック(選択可能)クッション天然素材
価格 @¥185,000.-(外税)~¥210,000.-
2.Waraku Chair(和のダイニング椅子)
サイズ:W540 D640 H1100(SH430)mm 材質:ウォールナット 無垢材 仕上げ:ドイツ製天然健康オイルクリア仕上げ 色:ウォー ナット色 シート仕様:高級皮革(標準オフホワイト、色選択可能)
クッション天然素材+ウレタン(写真4~7は材質は欅です念の為) 価格 @¥190,000.-(外税)~¥220,000.-
3.ORBO (Premium Long Shoe Horn: プレミアム靴ベラ)
家具作りのノウハウを活かした、特別に高級な靴ベラを作りました。インテリアの素敵な玄関にさりげなく調和します。立った姿勢で使用します。
サイズ : W25 H25 L 765mm 材質:ウォールナット、チー ク、マホガニーから選択 仕上げ:ドイツ製天然健康オイル仕上げ 色 : それぞれの素材色 付属品 : 専用木製ホルダ-、お手入れセット 価格 @¥47,500.-(外税)飛騨春慶塗ホルダー付きは@67,500.-
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今、あらためてminimalistについて思う。
http://bonbois.exblog.jp/23399722/
2016-08-14T21:50:00+09:00
2017-05-11T18:11:48+09:00
2016-08-14T21:50:06+09:00
bonbois
・デザイン雑感
さて、今日は英国人のミニマリストの建築家ジョーン・ポーソンを取り上げます。
今や、世界の各地でミニマリストの建築家として引っ張りダコの彼も、若い時には”自分を探す旅”を日本に定め、あの倉俣史郎と会い、自分の一生の目標が決まったという逸話の持ち主です。
「そのころは自分が建築家になるとは、全く思っていなかった」と言っているほど、職業としての建築家には夢を持っていなかったようです。
この作品は彼が1994-5年に、英国のエセックス州の郊外のtilty hillにある18世紀のオランダの納屋をドラスティックにリモデルし、21世紀のリゾート用賃貸住宅に仕立て直した建物。ミニマリストの傑作と評価されているものです。
平屋建ての家は馬のエンクロージャとして使用される大きな中庭を包み込み,インテリアは、周辺の田園地帯のように静かです。
添付したvideoを見ていただければ解るように、田舎の週末住宅としてはなかなか魅力的で、フーンと感心する所が多いのですが、ミニマリストのインテリアや建築で、私が一番気にいらない点は、その見かけ上のシンプルさを強調するために、ほとんどの生活関連用品を、目に入らない所に隠す(良く言えば整理する)という点です。
この目的のためにはstorage(収納)用で、表からは見えない棚を備えた厚みのある壁状のパーティションを設けなくてはならなくなり、しかも裏側には人間が動作をする空間も必要となってきます。
以前より、海外の住空間は、我が国のモノよりかなり広くて、こういうレイアウトをしても問題は少ないにせよ、あまり合理的な空間処理とは思えません。
このインテリアでもキッチンやリビングの本棚はオープンシェルフで、使い勝手を考慮しているところもありますが、どうも”見え”を優先するために、前もって意図したものの”いやらしさ”がぬぐえない。
このあたりになりますと、かなり専門的な領域になりますが、受け取り側が一般の人でも、この”いやらしさ”を感じとれる人はいると思います。
全ての”芸”の世界では、創作者の意図を感じさせなくなる程、高度で洗練されてくるということ。その点ではミニマリストの仕事はその”見え”のシンプルさ程には洗練されていないという、皮肉な結論になるのではと、私は思っています。??
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ここ8ヶ月していたこと
http://bonbois.exblog.jp/23336864/
2016-07-27T19:37:00+09:00
2016-08-10T09:12:12+09:00
2016-07-27T19:37:11+09:00
bonbois
・デザイン雑感
皆様、お元気ですか?前回の去年の11月19日のUPから、指折り数えて8ヶ月と10日程になります。
アクセスのレポートを見ると、今でもコンスタントに見ていただいている方や、たまに訪れてくださる方々がいらっしゃいまして、誠に感謝に堪えません。本当に有難うございます。
さて、この8ヶ月、私が何をしていたかと言いますと、Aterier du Bonbois の定番となる新製品をひたすら作り続けてまいりました。注文家具をメインとしてのなりわい(生業)ですが、それだけでは、こんな個人的な創作家具の工房でさえ、経営的には安定しないので、やはり家具の特別な注文が1つも無い時でも、食べていけるだけの定番商品を持つのが、工房創設以来の私の夢かつ課題だったので、今年は思い切って年初から、そのプロジェクトに集中し、去年は参加した名古屋の”木工家が作る木の椅子展”に参加もせず、がんばってきました。私の創作物に少しでも期待していただいている方々は、「いったい何を作っていたのか?」、興味津々だと思いますが、じらすわけではないですが、もうしばらくお待ちください。
世界的に見て、あらゆる過去の規制のシステムが、新しい時代に機能せず、人口だけがドラスティックに増え続ける今の地球は、あらゆる関係の不協和音と人間の営みによって、侵された自然が逆襲しているようにも見えます。
私は大量生産大量消費の限界を予感し、手造りの世界にある種の明るい未来展望を見い出し、今の手造りの木工家具他の世界に入ったわけですが、工房を東京に開いて7~8年経ちました。最近やっと自分の今やっている事に、ある種の自信と楽しみを見つけられた気がしています。同時に私が生まれて以来、一貫して行っている”デザイン”という行為の、深さと面白さをあらためて認識しています。
私の作ったものを専門に売る、ネットショップを近々立ち上げる予定です。どうかこの偏屈な江戸っ子じじいの創作に、ご賛同、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。
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家具のデザイン その39
http://bonbois.exblog.jp/22529403/
2015-11-19T10:12:00+09:00
2015-11-19T17:43:11+09:00
2015-11-19T10:12:20+09:00
bonbois
・家具のデザイン
皆様、ご無沙汰しております、お元気ですか??前回から5ヶ月も経ってしまいました。また復活しますのでどうぞ、宜しく。
今日は、フィンランドの家具デザイナーのイルマリ・タピオヴァ―ラについて述べます。
イルマリ・タピオヴァーラ(Ilmari Tapiovaara、1914年9月7日 - 1999年1月31日)は、フィンランドの家具デザイナー、インテリアデザイナー。アルヴァ・アールトやル・コルビジェに師事し、1953年にはシカゴのミース・ファン・デルローエの所で働いてモダンデザインを学び、椅子や机などのデザインを中心に様々な方面でのデザインを行った人です。
有名な椅子の一つにドムスチェア(すぐ下の3点の画像)があり、これは1947年にヘルシンキの学生会館、ドムス・アカデミカのために彼がデザインしたものです。今から見れば、一見ごく普通に見えますが、約70年前のものとは思えないほどの、合理性と機能性、それゆえのシンプルさをもっています。コストが掛からないように、素材と加工も最適なモノが選ばれています。後に多くのコピー製品も世に出ましたが、オリジナルを越えるものは現在まで、ありません。
当時の世界で、最も新しい様式を模索していた建築家達のところで、モダンの神髄を学んだにもかかわらず、彼の作品は、何処か懐かしい様な、人間の土着的な普遍性を持っています。
当時の学校(Hameenlina Central School of Art &Craft)で、彼の受けた教育は「少量生産の工房こそ正しく美しいものを作れる所で、大量生産は粗悪品を作り出すところで、そのような工場生産品のデザインをするべきではない」というモノでした。
これに反して、イルマリの興味はむしろ安価で機能、外観共に優れた家具を、大量に供給する事にありました。
従って彼は、家具をデザインする時、大量生産に伴う様々な課題、組み立て易さ、輸送時の荷姿、パッケージの方法 輸出時の規制、強度、人間工学、多様な素材と生産技術の研究等々。にまで留意してデザインを行いました。彼の作品は次第に強固で説得力のあるものになり、少量を作家的に作る当時の伝統的な工房のやり方へのアンチテーゼとなりました。彼の作品は当時の多くの伝統的家具から見れば、大へんに違反的で
それゆえにTIME LESSなものになったのです。
彼の詩的とも呼ばれる、創造に於ける主な特徴は、ある機能に対する形の多様性の探求でした。
彼はこれらの成果を有名なノール、フィンチェアといったメーカーに供給しました。
家具以外のインテリアデザインでもフィンランド国内、欧州、アメリカと世界的に仕事をしています。
主な作品はOKO BANK, Olivetti Showroom, The Hotel等を成し遂げています。
自身の仕事以外に、イルマリは教育にも多くの時間をさいており、アメリカ、フィンランドで教鞭をとりました。
彼はデザインには哲学の勉強が必要で、歴史上最高なインダストリアルデザイナーはレオナルド・ダビンチであると言っています。
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家具のデザイン その38
http://bonbois.exblog.jp/21893121/
2015-06-21T15:47:00+09:00
2015-06-22T00:51:16+09:00
2015-06-21T15:47:43+09:00
bonbois
・家具のデザイン
たいへんご無沙汰しております。FB(フェイスブック)を見ていない方には、まるまる2ヶ月ぶりのUPになります。
お元気ですか?、6月も後半に入り、今年はなんとなく雨が少ないように感じますが、梅雨の時期、皆様いかがお過ごしですか?
私は、5月中は6月5~7日に名古屋で開かれた木工ウィーク、その中でも「木工家がつくる木の椅子展」今年のテーマは、”異素材を組み合わせた木の椅子展”に出展する椅子ツールを作り続けていました。ステンレス(設計は自分でやり、制作は外注に頼みました)や皮の縫製品のクッション(これも外注)を組み合わせて使用しているので、それなりの時間と手間も掛かりました。かつてデンマークの王立美術大学建築科の家具クラスで学ばれた、武蔵野美術大学の島崎名誉教授による作品の評価会では、ステンレスの部分の、その特性を生かしきった機構、皮の部分を含めたトータルコーディネイト(色と質感)等を、高く評価して頂きました。
現在、ステンレスのレッグベースを含め、定番のオリジナル商品にするために一度全部をばらして細部を検討中です。来月には試作No.2が完成します。
完成のあかつきには、かなり面白くユニークなスツールになる筈と、自身を持っています。ご期待ください。
photo0 紫陽花
Photo1 ”るなあふりっく” と名付けた、主にアイランド型のシステムキッチンで使われることを想定したスツー ルのアイデア・スケッチ。
Photo2 名古屋市東区撞木町の撞木館という文化財の家で展示された”るなあふりっく”
photo3 同上
photo4 島崎名誉教授と”るなあふりっく”のプレゼンテーションをする私。
photo5 私がこのスツールをデザインするに当たりインスピレーションを受けた古代アフリカの木の枕。
photo6~7 欧州の高級インテリアでは一つのジャンル化している、アフリカンティストのインテリア。]]>
家具のデザイン その37
http://bonbois.exblog.jp/21704250/
2015-04-12T13:38:00+09:00
2016-04-09T22:30:55+09:00
2015-04-12T13:38:34+09:00
bonbois
・家具のデザイン
皆様、大変ご無沙汰しています。お元気でしたか??まことに時の経つのは早いもので、前回のUPは、1月28日ですから2ヶ月半ぶりですね。 元来1つの事に集中すると、周りが見えなくなる性格な上、TVボードの制作やら、風邪をひくやらで、たいへん失礼しました。
さて、日本の家具の歴史の”ざっと”のオサライも、昭和まできましたので、今日は、現在活躍されている、家具作家の中で、私が今最も、注目している須田 賢司(すだ けんじ1954~)さんの人と作品を取り上げます。
彼は、須田 桑月(1877~1950) , 須田 桑翠(1910~79)と続く、正統な東京指物職人の3代目で、職人より木工作家として活躍しています。「父親から仕込まれた、職人としての高い技術と職人根性をしっかり身につけながら、かつ作家としての高い芸術性を備えるという、木工作家の中では貴重な存在」と、プロの中でも評価が、たいへん高い作家です。
若いころ須田さんは、貴重な材料を惜しげもなく用いて、意匠に凝り、粋な味わいを追求した、小箪笥や文机、厨子飾り棚など、江戸指物の伝統的なアイテム、これらは美しくて、花柳界とか、特別な人々には大いに珍重され、法外の値段でも、喜んで買ってもらえる。こんな状況に疑問を感じたということです。
「もっとほかに、社会のため、庶民のためにすべきことがあるのではないか??」と半年間、仕事場を離れ、道具を持たずに、半年間真剣に悩んだそうです。
このあたりが、私がこの人に注目する要点ですが、江戸指物の第1級の職人の3代目という、ある意味では
悩む余裕がある、恵まれた立場だったことを差し引いて考えても、日本の伝統工芸のあり方の矛盾を、若いころから気が付いて、悩むというのは、本物のクリエイターの資質である純粋さを、多いに備えているということです。
江戸指物職人で現在も仕事をしている人達で、雑誌などに、頻繁に載る人もいますが、やはり伝統のアイテムを花柳界や、お茶の世界、日本の調度品を愛好する素封家等、限られた経済力のある人達だけを相手に、仕事をしている様です。 一度、私も、こういう仕事の代表作を直接見たくなり、根津の展示場に行ったことがありましたが、工作の巧みさや、仕上げのレベルの高さには関心したものの、そのサイズの小さい点、桑の杢の素晴らしさはわかるものの、色や仕上げの印象はどうしても江戸時代、粋というより、古臭いと感じてしまいました.一言でいうと、現代のモダンインテリアには、合わないということです。
須田さんも、雑誌の対談で、言及していますが、日本の美術館は家具をほとんど収集しない。最近は、国立近代美術館工芸館が集めはじめましたが、それ以外では家具は問題外というのです。
というのも、明治維新後の日本政府は、生活のすべての面で、外国(西洋先進国)に習い、国の近代化を目指したわけで、産業の近代化を最優先事項とし、生産、産業機械の外国からの導入、そしてこのための外貨の獲得が必要でした、このころの日本の物産で、すぐに外資を稼げるものといったら、日本古来の美術工芸品、それも外国人が好む、蒔絵、螺鈿などの調度品、巻物をはじめとする画や書、そして陶磁器やガラス、金属工芸品、こうした輸出を前提に、容積がすくなく、価値が高いものが、政府にとって必要な美術工芸品だったと考えられます。この辺りは小国のスイスが時計を、国の代表的な輸出物にしたことに似ています。
又、長くなりました、続きは次のUPでやります。なるべく早くUPするつもりです。ご期待ください。
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