作為の無い作品1 ほんとうの日本人のこころ |
皆様いかがお過ごしでしょうか? 9月生まれの私にとって、最も気持ちが良い季節に入り、空気が乾燥してくると、景色も美しく見えてきます。バイトに行く途中の小平団地の一角が、以前慣れ親しんだ伊のトリノの街角に見えて“ニヤリ”としました。ごく稀ですが何故か「空気感」が似ているときがあるもんです。
「日本の美」を考えていると、「日本人の生き方」にぶつかり、続いて「日本人のこころ」を考えざるをえなくなりました、そんな訳で、今日は、少し抹香臭いと叱られれそうですが、ちょっと宗教と周辺のお話です。
以前、私の生い立ちを書いた時、触れましたが、私の生家は、東京のごく普通の、宗教的背景の家で、すなわち正月は神社に初詣、家人が亡くなった時は、お坊さんに来てもらいお経を読んでもらうといった程度で、田舎のような檀家制でもなければ、決まった教会に行くということもない家でした。それでも一応お坊さんを呼ぶ時は、曹洞宗でという話しでした。ほとんど8〜90%の東京の家庭はそんな所でしょうか?少なくとも昭和2〜30年ごろはそうでした。
そんな家庭で育った私も当然、そのような宗教的背景しか、持っていませんでした。
人間は自分の力だけでは、いかんともしがたい状況に遭うと、何か人間以上のものを信じるようになると言われていますが、私も社会人になり、独立し、まがりなりにも自分の事務所を持ちパートナーも出来、デザインビジネスがやっと軌道に乗り初めた頃、
ある日突然、経営していた会社をつぎつぎに6社も潰し、人に雇われても長続きせず転々としていた、すぐ上の兄(次男信輔)が私の事務所に転がり込んできました。
なにかドラマティックになってきたところですが、続きは次回と言う事で
今日はおやすみなさい。
写真上は言わずと知れた良寛さんの天上大風(出典 別冊 太陽 日本のこころ153) 写真下 私めの天上大風 恥ずかしながら木片に書いて遊んでます。