日本の美 その6 |
昨日の続きで、桂の美の本質に私なりに迫ってみようと思います。タウトは「・・それは
実に泣きたくなる程の美しさである。・・・これはヨーロッパ人の眼にはまったく特殊な
新しい美ーーーすなわちなにものにもくらべる事のできない絶対に日本的な美である」(タウト全集第1巻より)梅棹は「驚くほど明るい、上品なエロティシズム、享楽の美」
これらの言葉では、それが何なのかが解らない。よく芸術やその他の作品で“筆舌につくし難い”と言いますが、感動の本質は実は言葉には表せないのが本当だと思います。又「書のわからない人は読みたがる、画のわからぬ人はまず何がかいてあるかを見る」これも本当の事です。上のタウトの言葉の中で[泣きたく成る程の美しさ]これは感動の部分
それより後は見慣れない日本の様式に対する驚きです。私の経験から言うと、人類が作ったものに感動する時、それがどんなに見慣れないものであっても時代や民族にはほとんど関係ないという事実です。今日芸術作品にとって美は必要条件ではありませんが、あらゆる種類の感動は必要条件でしょう。タウトは桂に感動し、『美しい』と言っている。さあ少しややこしくなってきましたが、タウトの感じた美の本質はどこでしょう?
じらすわけではありませんが、この先は次回にします。to be continued