日仏交流史 |
おはようございます。快晴とは言えませんが、東京は比較的気持ちの良い日になりそうな朝です。
しばらくUPをしなかったので、今日は前回に続いて”家具デザイン その18”をするつもりだったんですが、例によって私のブログ的気まぐれで、今日は我が第2の故郷フランスと日本の日仏交流史を、先日世界遺産に登録された、富岡製糸場をテーマとして、少しご紹介したいと思います。
去る7月25日に世界遺産に登録された富岡製糸場とは、明治政府が1872年フランス人技術者のポール・ブリュナを中心にフランスの最先端技術の導入して、群馬県富岡市に建設した官営の機械生糸場です。
当時の政府は、近代化の資金を得るためには、当時最大の輸出品だった生糸の増産と品質向上が不可欠と判断した為、この生糸場は当時の先端技術を採り入れた、世界最大規模のものでした。
この生糸場建設の指導者として全権を託されていたポール・ブリュナは、日本の主な養蚕地域を視察した上で、大量の繭(まゆ)が集め易く、蒸気エンジンの燃料の石炭が近隣の高崎市で採れること、大量の水を確保できる川が近くにある、などの好条件が整っていた富岡市を建設地に決めます。
71年には一時帰国して、リヨンから繰糸器、紡糸器など最新鋭の機械を調達するとともに、女性を含めた繰糸技術の指導者や器械の技術、製糸場で働く人を診察する医師まで日本に招きました。
設計・建設を担当したのは、やはり当時のフランスの最先端技術で建設された、横浜製鉄所、横須賀造船所付きの建築家エドモン・バスティアン。 これらの写真をご覧の様に、基本となる木の骨組みにレンガの壁、日本瓦の屋根という和洋折衷のユニーク且つ、耐震面でも優れた建物でした。全長 100mを超える東西の繭倉庫や、300人の女子工員が一斉に糸を引き出して巻き取った繰糸場などが、ほぼ当時のまま残っています。
化学繊維の普及に押されて1987年に操業を停止しましたが、当時の所有者の片倉工業が市に移管する2005年まで、関係者の努力で、毎年億単位の費用をかけて維持されてきたそうです。
ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)も”奇跡的な保存状態”と評価しています。
私は、つい最近あるブログでここを見つけ、未だ実際に訪れてはいませんが、機会があればぜひ見学したいと思っています。 それというのも、いつか理想の 家具工房を建てようと目論んでいますが、その理想形の100年以上の古いレンガの壁と、木の構造の組み合わせという条件に、これほどぴったりあっている物件は、今の日本では他では、見つけられないからです。(特にこれほど保存状態のいいもの)
さてここで、殖産産業に於ける日本とフランスの交流の歴史をおさらいしてみますと、19世紀、フランスの経済を支えたのは絹産業でした。服飾加工された絹製品は、パリファッションを世界に発信する最大の輸出品だったのです。なかでも、製糸と絹織物の中心地がリヨンです。リヨンは「絹の都」でした。
ところが1855年に蚕(カイコ)の病気、特に微粒子病と硬化病がヨーロッパ全域に広がり、フランスの養蚕も壊滅状態に陥ります。生糸の輸入が増え、中近東や中国など国外への依存度が年々、高まっていきました。
同じころ、1858年に(江戸幕府と)調印された日仏修好通商条約により、日本の生糸がフランスにもたらされます。その質の高さに驚いたのがリヨンの商人達でした。
彼らは、第2代駐日公使として赴任することになったレオン・ロッシュに、日本の生糸の安定供給と蚕卵輸入の実現を託しました。輸出が禁じられていた蚕卵を、フランスは秘かに軍艦で持ち帰って研究し、日本の蚕が病気に強いことを証明していたのです。この証明をしたのは、当時まだ無名だった細菌学者のルイ・パスツールです。
1864年に来日したロッシュの折衝によって、翌65年にマルセイユ~横浜の航路が開け、蚕卵の輸出も解禁。1885年まで、日本で生産される生糸と50%がフランスに輸出されています。富岡で生産された生糸の100%がフランスに輸出され、獲得した外貨は他の産業への投資に使われ日本の近代化を促進しました。
絹は日仏の関係を紡ぐ相互依存経済交流の要だったのです。
長い歴史を持つ国にはそれぞれ深い文化があり、互いに惹かれ合っているものです。日本とフランスも長い歴史の中で文化を発展させてきました。ものづくりなど共通点も多い。今後も交流によって関係は豊かになることでしょう。フランスは今も日本に憧れ、まなざしを向け続けているのです。
(以上、日本と仏の交流の歴史の文章出典:明治大学客員教授 クリスチャン・ポラック氏の文章より/ 014/07/02/聖教新聞)
とにかく日本とフランスは長い文化交流で繋がっていると言う歴史を認識して、これから先も豊かな文化の交流を続けたいものです。私のつたない経験からいっても、フランス人(特にタタミぜとよばれる熱烈な親日家達)は禅などの日本文化を正しく、深く理解し、日本人を大好きな人が多い民族だと思います。
またまた長くなりました。 今日はこんなところで、ごきげんよう。
追伸: 私見ですが、本来日本という土壌は、自然を大切にし、つきあっていけば、蚕でも木材でも、良質なものが
産出される恵まれた所だと思います。かつての良材が沢山採れた日本の楢も、アメリカのバイヤーを中心にした、急速な需要に応えるため乱獲され、今は良い国産の楢を入手するのはたいへん難しくなっています。
こういう素晴らしい土地を先祖から引き継いでいるのに、原発や、欲にかられた開発で日本の本来の自然を失うことは、真に嘆かわしく、愚かな行為です。反省と行動が必要だと思います。