家具のデザイン その15 |
こんにちは、2週間程ご無沙汰しました。FBはUPが比較的簡単なので、仕事がたて込んでも、何とか息抜き時間で出来ますが、このブログとなると、それなりに時間が掛かるのでなかなか更新出来なくて失礼しました。
さて、今日は以前よりお約束していました、家具のデザインの歴史を約1年半ぶりに、やります。
その14で、一応アールヌーヴォーまで終わりましたので、今日はART DECOです。
アール・デコは装飾美術の歴史で、最も華麗で充実した一章だと言われています。現在、そのはじまりは1908,12年の間とされ、衰退期ははっきりと限定できませんが、1930年代には、美術史的にはモダニズムの流れに吸収されていったと考えられます。1925年にパリで開かれた現代装飾・産業美術国際博覧会<アール・デコ展>にちなんで、名づけられたこの装飾様式は、キュビズムなどの前衛絵画、エジプト美術、東洋美術、ロシア・バレエ等の雑多な芸術的要素を取り入れ、都市化の進むマシンエイジの影響の下に展開していきました。
美術の歴史からいえば、自然の植物や昆虫などの形態を、そのまま家具や建築の装飾として取り入れたアール・ヌボーは、材料と形態の最も自然な帰結を離れ、本来の美の民主化という目的からもはずれて、金持ちの愛玩品になってしまったことから誤謬といわれていることは、以前書きました。そしてアール・ヌーボーの反省から「機能は形に先んじなければならない」というのがアール・デコの一番の教義となり、以後のデザイナーたちに受け継がれていきました。
しかし、装飾の教義については、もっと複雑でした。当時、大量生産方式(米国のフォードは1909~20年までに、既に100万台の車を生産している)が次第に社会の重要な位置をしめはじめ、最初期の粗悪品を大衆を騙して売る段階を越えようとしていました。1926年フランスのコルビジェを含むモダニストの一派は、アール・デコの時代になっても、特定の顧客(多くは金持ち)のために、丁寧に作る限定版の制作を請け負うデザイナー達への批判をはっきりと口にするようになりました。彼らの主張は「新しい時代は、万人のためにすぐれたデザインを要望している。そして、品質と大量生産は相反しないのだと、彼らは主張する、装飾美術の未来は、金持ちの美意識に支えられているのではない。物の最高美は、逆に、仕様への完全な適応にある。それぞれの時代は、その時代固有の要求に基づいて、装飾美術を作り出さなければならない」と、このへんは、私が常々言っている、”良いデザインとは、使い易く、機能が優れ、時代の一番良いところを象徴して普遍性のあるもの”と、ほとんど一致しています。
さてずいぶん長くなりました、今日はこの辺にしておきます。art decoは国や作家によって様々な表現があるので、次回からは、それらの個別の表現を中心に、装飾と機能についての、もう少し詳しいお話を進めたいと思っています。それではごきげんよう。
上よりphoto1,2,4,5: Designed by Emile-Jacques Ruhlmann photo3: Designed by Eileen Gray