家具のデザイン その14 |
おはようございます。あまり時間をあけないで、一気に13からの続きをやります。
研究者にもよりますが、美術史的に言うと、アール・ヌーボーは応用美術を、長年に亘る沈滞から救い出した功績はあるにせよ、アール・ヌーボーは誤謬(誤り)であったという意見が多く、現代では「アール・ヌーボー」という呼称自体、軽蔑の意味を含んでいます。

「現代装飾美術ーフランス」の著者のガストン・ケニウーはこう言っています。
「不幸にしてアーティストの大半は、そして一般大衆も、1つの根本的誤りを犯していた。それはこういうことだ
装飾(デコール)はそれ自体芸術であるから、装飾のない物は芸術性を認められないのだ。したがって、実用の目的を持たない、豪華な装飾を施した多くの物は、<アール・デコラティーフ>の名で特別展示品として毎年のサロンや美術館や、あるいは金持ち蒐集家のガラス・ケースの中を賑わすのに、実用品ときたらごく僅か、あるいはまるで顧みられない」。
これは英国でも実情は同じことで、モリスが提唱した装飾美術、美しいデザインはアカデミー派に対抗して装飾芸術、ひいては庶民の生活に人間性と自然を回復せしめるという理念はすばらしかったけれど、その実、制作行程が複雑で手間が掛かり過ぎ、実際は大金持ちしか手に出来ない代物に、なってしまったわけです。
フランスに於けるアール・ヌーボーの中心的人物はなんといってもナンシー派のエミール・ガレですが、私見ですが、彼があまりにも自然を愛し、植物に精通していたことが、家具のデザインにとっては不幸なことだったと言えるでしょう。

時代が進んでバウハウスの時代になれば、当然のように言われた、素材の特性を最も良く活かすことが、すなわち良いデザインという合理、機能主義的観点がまったく顧みられなかったからです。ガラスは熱可塑性の物質で熱を加えればどこまでも変形しますし、ガラスの入れ物や、板状のものでも、家具の様に、直接大きな荷重が加わることは、ほとんどありません。ガラス工房の跡継ぎだったガレは、外国で修行や勉強も良くした人でしたが、素材(ここでは木材)が表現の鍵であるという点を家具では軽視したのか、芸術の総合性のために、解りつつも運動を強引に押し進めたのかは、今では判断がつきかねるところです。例えば左の日本の違い棚から発想されたものを、見て下さい。違い棚の基本構造である角の4本の柱は植物の茎を模してあり、弱々しく華奢に見えます。
家具そのものの美しさと強度、それを構成する部品のサイズということよりも自然の植物に似ていて、conspicuous(異彩を放つ)な事が重要だったのでしょう。別に今更彼を擁護するわけではないですが、以前にも書いたように、装飾美術のブームがおきるまでは大変な抵抗があったのだと思います。
新しいアートのパトロンたるべきブルジョアジーでさえ、最初は700年もつづいた伝統の継承であるネオクラシシズムやロココ調がメジャーの趣味で、ビングが1895年に店(アール.ヌーボー)を開いた時も、大変不評だったことは以前(その9)にも書きました。多少うがった見方ですが、アカデミーや保守的な金持ち、貴族達を
改宗させるには、表現的に圧倒し、過去の模倣と完全に違う必要があったと考えられます。
このへんが、私が30年程前、改装前のパリの装飾美術館を訪れた時の、「どうしてここまで”ひつこく”曲線で部屋全体をまとめたんだろう?」という問いにたいする答えです。
また長くなってしまいましたつづきは次ということでごきげんよう、おやすみなさい。
長らくおつきあい有り難うございました。感謝!!感謝!!
