家具のデザイン その5 |
おはようございます、昨日今日と少し薄ら寒ささえ感じますが、あの猛暑の後ですからね、忙しいのと変化が多いので”マコト”疲れます。
このシリーズも早く終わらせたいので、今回あたりで一段落つけるつもりです。
さてナポレオン3世は他の為政者とどこが違ったのか?
まずフランスの皇帝というものは、約9世紀も続いた王政が瓦解したフランス革命の後に、ブルジョワジーや社会主義者等、いろいろな新階層の勢力争いの中から、どちらかと言えば農民や労働者の代弁者という立場をとりながら、革命に伴う、国際的な権力争いを背景に、独占的な権力を奪取したナポレオン1世が
自ら自分でなったものなので、一応国民投票の形は採っていますが、まあ独裁政治です。
1世が失脚後、王政復古というアナクロ的なキックバックはあったものの、民主化、自由化の大きな流れはとめられず、1848年第2共和政下で、選挙で大統領になったナポレオン3世は、52年伯父さんと、同じやり方(クーデター)で皇帝となり、君臨がスタートする事になります。
この時代、世界中が覇権争いに血道を上げていた時です。フランスは上昇勢力として、衰えが見えてきたオスマンやオーストリヤなどの旧勢力から利権を奪い取ろうと積極的に動きます。考えてみると人間なんて、
本当に野蛮な動物で、つい160年ばかり前には、世界中が軍事を背景に、他の国や土地を奪う競争をしていたんですから、あまりお上品な事をいっても、高が知れています。
こういう時代背景でナポレオン3世はパリをどの様にしたかったのでしょうか?元来中華思想が強いと言われているフランスですから、そしてこの時は勢いがあります。
「世界都市」という名称にふさわしい、世界1の都会にしたかったのは明白です。建築史の専門でも無く、ヨーロッパ全ての都市を調べ上げたわけではありませんが、私の印象では、オスマン様式と呼ばれるパリという街は他のヨーロッパの大都会(それほど、多く無い)と比べて、不思議に明るく、権威的な所が少ないと言えます。
当時は権威的=王政=ルイ14世=ヴェルサイユ宮殿という図式で、7月王政打倒をスローガンに反乱を起こし、政治的デビューをはたした3世ですから、王政を象徴するような街を創れなかったのは当然といえば当然です。
日本人から見ると、パリの街並(とりわけPlace de Furstembergの様な)とヴェルサイユの違いを指摘するのは困難でしょうが、明らかに違います。
アンティーク家具の歴史的分類でいえば、ルイ13、14世時代がバロック、15世がロココ、ルイ16世からナポレオン1世までが、ネオクラシシズムと大別され、ナポレオン3世時代をはさみ、アールヌーボーへと続きます。この中でナポレオン1世のものを特にアンビール様式と呼びます。
3世には、「パリを国際的に世界1にする」という明確なヴィジョンがあり、世界という概念も1世の欧州中心だけではなく、インドシナ、清朝、メキシコ、日本(江戸幕府に軍事援助)ロシアとグローバルに見て、構想するだけの知識と経験があった。この辺は、初代ナポレオンが、個人的に、古代ローマやエジプト趣味に走ったとの違いがあります。幼い時の、スイス(敵国語圏)での教育もきいています。(昔から言われている、かわいい子には旅をさせろです)そしてなにより大事なのは、クーデターでなったにせよ国民投票で選ばれたフランス国民の皇帝であるという点です。この時代一歩間違えば、外国の圧力もあり、政治生命どころか、いくら皇帝でも自分の命も危うくなる、つまり命が懸かっているという事です。そして自分の政権を17年間という間維持出来た事。
今後、近代都市の成り立ちとして、絶対に(といえる程)希有な組み合わせが、奇跡的に1852年のパリに起りそれが今日のパリを世界一の魅力ある都会にしているといって過言ではないでしょう。そのありえない組み合わせをもう一度繰り返すと。
1. 為政者が独裁者であること、そしてその都市(パリ)が出来上がるまで権勢が維持出来た事
2. そして、この為政者個人が、来るべき世界都市という明確なヴィジョン(デザインと言って良いでしょう)を持っていた事
3. これらが可能な、国家としての経済力が合った事
4. 独裁者の命が懸かっていた事
どこぞの、題目ばかりの民主主義を建前で学芸界のレベルで行っている衆愚政治の国では、望むべくもありません。
しかし考えてみると(我が第2の故郷)、フランスという国は、島国根性の国民には理解しがたい大らかさがあります。 ナポレオン1世のようなイタリア人を皇帝として、祭り上げても国益になればまったくOK,その甥っ子(彼はパリ生まれですが)が出て来て、パリを世界一にしたい、と言えばそれもOK。
考えようには、これほど外国人を巧く使う(利用する)国民もいませんね。
フランスの傭兵は世界一有能かつずるがしこいと言われる所以かもしれません。
とにかく考え方が大陸的と言えるでしょうね。
またまた、長ーーーくなってしまいました。 このテーマは、今日こそは終わらすつもりでしたが、もう一回ぐらいはかかりそうですね、すいません、今晩はここまで、ごきげんよう
photos: Credits Paris DES PRÉS