異文化交流で気がつくこと |
おはようございます。東京はなごり雪が、そこここに残る、底冷えのする天気です。ブルッ!〜〜みたいな。
突然ですが、私は匂いに敏感なほうだと自分で思っています。鼻が大きくて、鼻の穴が大きいせいかもしれません。以前、家族の肖像1で触れたことがありますが、匂い(かおり)を感じる「嗅覚」は二重構造で、まず「良い」とか、「おいしそうな」、「さわやかな」という感覚的なものがきて、次の瞬間に「におい・かおりの記憶」が蘇り,「懐かしさ」などの感情がわきあがってくることがよくありますよね。 時には、はじめて嗅ぐかおりなのに、遠い国のことを思い浮かべたり、遥か昔の平安時代に想いを馳せたりと、時間、空間を超えて大きくイメージが広がっていくことさえあります。
お役人の中でも,たまには粋な人がいるもので、環境省が「かおり環境」という考え方を取り入れて、良い環境とかおりのつながりを模索するために、”かおりの風景100選”なる本をだしているので、その中からの画像と、かおり(匂い)についての私の考えている事をお話します。
みなさんも経験があるとおもいますが、国々によって、その国、特有な匂いがあります。においというのは、不思議なもので、慣れてしまうとほとんど感じなくなります。ですからその国特有なにおいは、エトランジェ(その国以外の外国人)のほうが感じ易い。まず私の第二の故郷のフランス(パリ)の匂いはなんといってもフランスパンの匂いです。人通りがほとんどないパリの街を、朝早く散歩した経験がおありな方なら解りますが、朝の路肩から溢れ出る水の音とにおい(パリは毎朝、下水道をわざと溢れさせて路肩の洗浄を自動的にしている、こういう所が大人の文化なんです)、フランスパンのにおい(かおり)が混ざった、なんともいえない大人っぽい、良いかおり(少なくとも私にとって)で、「あーっ 、私のパリに来た!」という感慨がわいてきます。たぶん葉巻とカルバドス(りんごで作る庶民のブランデー)あたりのにおいもほのかに混じっています。景観と匂い、音、すべてがアンサンブルして、パリという街をつくりあげています。歴史の重みとそこに住む人々の思いを感じられる街です。
さて日本を代表するにおいはなんでしょうか?少々乱暴ですが、私は醤油のにおい、それも少しこげた匂い、そうです”せんべい”のにおいだと思います。
以前、英国に2年程滞在して、成田に戻ってきた日、空港の中のレストラン街で、一番強烈な印象のにおいは醤油の焦げたにおいでした。たぶん嗅覚が英国人になっていたせいだと思いますが、「ああ日本だ、日本に帰ってきた」という強烈な思いが込み上げてきたのを覚えています。良く醤油顔、とかバター顔とかいいますが、良く言ったもので、醤油は日本をよく象徴しています。これに関連して面白い話があります。概して西洋人(肉食人種)は日本人を魚くさいと思っています。
それと、さんま等の焼いた魚の匂いが、香ばしくて美味しそうと感じるのは、どうやら日本人だけの様で、これは実際に私が体験した話ですが、米国の州立大学に交換留学中、ドミトリィ(寮といっても米の大学の建物は立派な高層マンション)にいたとき、同期の日本からの留学生が国(たぶん九州の何処か)から送ってきた、”くさやの干物”を寮の共同キッチンで焼いたことがありました。日本人でも”くさや”は苦手という人が多いのに、。モクモクとけむりを出して干物を焼いていると10階建ての寮全体がパニック状態の大騒ぎになり、「どうした!どうした!誰か死んでるのか?」という反応。これは最近確認したことなんですが、どうも西洋人にとって、魚を直火で焼いた匂いは、死体を焼いている事を連想させるようです。つい2、3日前の新聞で、ドイツで生活した日本人がさんまを焼いていたら、後日、再び、あんな死体を焼いているような匂いをさせるならただでは済まさないという脅迫まがいの苦情が出た事が書かれてありました。ことほど左様に、文化が異なると、匂いもまったく異なる感覚と連想を呼び起こす、という今日のお話、長くなりました、続きは次回ということで、おやすみなさい!
追伸:日本の暮らしで、最も物足りなく感じるるのはチーズと肉の加工品(ハム、ソーセージの類)の種類の少なさと価格の高さ。こればっかしは現地に敵わない、そのかわりに新鮮な魚はある(これも国産なのに高い) 私はノルマンディのPont-L'Évêque産の山羊の乳で作ったチーズが大好きで、何かの本で読んだ赤ワインと一緒に楽しんだものでしたが、最近はご無沙汰ですね。こうしてブログを書いていると、何か思い出してしまって、食べたい、飲みたい。
故郷(ふるさと)は遠きにありて、想うもの
というけど、 遠くで想っていると、ほんとうに懐かしくなるのがパリですね