日常の中のエスプリ |
おはようございます。今日は少し雨が残っていますが、「ひと雨毎の暖かさ」という言葉がほんの少し感じられる様になってきました。まだまだ寒く油断はできませんが、今年は、あの”極寒”を乗り切ったという感慨さえ感じるひどい寒さでした。
さて、今日は前回に続きパリのお話。まずは右の画像、パリの街角の本当にどこにでもある、ただの安カフェの前に置かれたシェーカーの椅子。私がパリを一番懐かしく想うのはこういうシーンなんです。
人間の毎日の、とりたてて言う必要もない普通の営み、ただカフェを飲んで、いつもどおりのランチ。そういうなんでもない営みがこういう場所で行われる。
フランス人(パリジャン)1人1人の価値観が、店を作り、界隈を作り、街全体を形作っていくもので、今でもパリが世界でも1番か2番の魅力ある都市なのは、自分のテリトリーを、この画像のようなエスプリのきいた場所にしている彼ら(彼女ら)1人1人の価値観を、私はすてきだと思うし憧れます。
私の世代の人間の中には、東京をなんとかしてこういうエスプリのきいた街にしようと、ずいぶんいろいろ試みた人間も少なからずいたんですが、今の惨状を見ると、結局”大衆”というものは、サルトルが言ったように泥だったんでしょうか?
すべてを不況のせいにするのは簡単ですが、今の多くの日本人の価値観では、粋な街は生まれないという事でしょう。
サンジェルマン・デ・プレ教会
前の交差点にある「レ・ドゥ・マーゴ」かつてサルトルやボーヴォワール女史等を中心にした文化人の溜まり場として有名。1992年私はここで、自分がデザインした初代ルノークリオでパリの街中が埋めつくされている(この時の状況は、直接経験しないと信じ難いですが、正直、パリの狭い路地という路地すべてが、クリオのよって占有されているという実感でした)実証がほしくて、このカフェに陣取り、目の前を1分間に何台のクリオが通るかを、数えた覚えがあります。確か7ー8台は通ったと記憶しています。手柄話で良寛さんにしかられそうですが、1年間に60万台以上(1機種の年間販売数として世界第2位/VWゴルフが1位) 92年ー97年の総販売台数は380万台を売り、ルノーが日産を買収出来たのは、この初代クリオの大ヒットのおかげだと私は信じています。
さて今日最後の画像は、
あのレオナール・藤田のキッチンの画像。
パリから車でヴェルサイユを通って、南西へ1時間ヴィリエ・ル・バクル村の古い農家を改修、藤田が73(1960年)ー81歳で亡くなるまでの6年間を暮らした終の住処のキッチン。東芝の電気釜やかき氷機が見えて笑えます。さすがは藤田と思わせる金属製のアンテイックな調理器具とハンガー等、今の成金御用達のシステムキッチンなど足下にも及ばない簡素でプリミティブな魅力にあふれています。持ち前の器用さで、藤田は料理も大工仕事も大好きで、楽しんだ様です。
出典:椅子(CHAIR)著者・撮影 遠山 孝之 /美術出版社 、私のパリ 私のフランス 著 恵子/講談社
芸術新潮2006年4月号/新潮社