創造は《生きている》を感じ、そして表すこと |
今日は雨の日曜日、見るともなしに、NHKの日曜美術館をみていると、ちょっと興味があった
フランソワーズ・ジロー(ピカソのEX妻の1人、本人も画家で今でもニューヨークで制作活動を続けている)をフィーチャーしていて、美術評論家の瀬木さんが生前のピカソに、インタビューした時のエピソード等を語っていました。そんなわけで、昨日のUPは現実的すぎて、自分でも最近の俺=プチ(小さい)と反省、やはり私の永遠のアイドル ピカソさんに元気づけられ、"巨"もいいなと思う。
この番組で、つい最近のジローさん(88歳ぐらい)とのインンタヴューがあって、興味深かったのは、「ピカソは私の知っている人間の中で最も複雑な人だったが、他人には、すごく単純で、つねに
インスピレーションだけで制作しているように見せたがった。ある時は、これから会う人と何を話すか、どういう態度にするか、をジローとリハーサルをする程、慎重で計画的な所もあった。」
この点は、ピカソのオフィシャルサイトで、一見落書きか漫画にしか見えないようなスケッチにしても、膨大な試行錯誤の連続で、1つの結論に対して100ぐらいのトライのスケッチが、存在しているのを目の当たりにすると、容易に理解できます。
又ジローの証言によると、ピカソは毎日、毎分、毎秒全てを絵を描くことにつかうべきで、他に気持ちが、分散すれば2−3流の画家にしかなれないと言っていたそうです。瀬木さんの証言では、ピカソはあの北斎が大好きで、尊敬もしていたようで、俺は欧州の老画狂人だといっていたそうです。
常識人の頭で判断すると、ピカソは傲慢不遜で、特に女性からは7人もの女性を取り替えて、したい放題のようにいわれますが、ピカソの全人生の一瞬一瞬は実は、総て画を描く為、もしくはその準備行動と考えれば、信じられない様な膨大な創作物、千変万化する画のスタイル、変化する女性への嗜好もすべて理解できます。たしかに二人の子供をつれてピカソのもとを去り、再婚したジローをむりやり離婚させ、復縁した矢先にジャクリーヌと結婚する所は、傲慢不遜で許せない所もあります。
でもジローの本(ピカソとの生活)はピカソが激怒するほど、悪口も書いてありませんし、それどころか、ピカソの創作の本質が良く書かれている本です。
芸術家どうしの結婚は大変難しいものですが、ピカソ63歳、ジロー23歳、40歳の違いがありました。彼女は言っています。人間は自分が理解出来ないものを、尊敬する傾向があり、自分がピカソと結婚したのは、自分と同じ芸術家で、既に巨匠となっていたピカソが何を考え、どのように創作するかが、男としてピカソの存在よりも上回っていた事、そして後年ピカソを芸術家として理解したと思った時、彼に興味を失い、別れたと。 その後、愛憎劇を越えて、2人共老齢になったある時、ピカソが突然、電話をかけてきて、一緒に暮らした時に、君のエネルギーを浪費させてしまったので、貴方には、貴方の寿命より10年多く生きられる様に、エネルギーを贈ると言ったそうで、ピカソの寂しさが少しかんじられますが、男と女を越えた2人の芸術家のおもいやりと考えるとほほえましいし、芸術家、画家として、若いころあれ程差があった2人の間が狭まる程、彼女が成長したとも考えられます。
仏教のさとりが生きているという単純なことが解る(これが難しい)事であるように、偉大な芸術は見るものに、生きている実感を感じさせるかにかかっていると私は思います。
猪熊 弦一郎の《 顔80 》という作品。あきらかにピカソの影響を見る事が出来る。
最後の写真は〈たぶん〉ピカソのエビの絵があるホームオフィス、こんな空間なら住みたい。
ヴィコ・マジストレッティのVIDUN(机の足)、ヤコブセンのアントチェアもきいてます。
写真説明&出典 上より1: ピカソ自筆の日本語のサイン、瀬木さんが訪れた際もらったもの
出典: ピカソ 20世紀美術の象徴 瀬木慎一著 読売新聞社
2: パンを自分の手に見立てておどけるピカソ
出典:1977年ピカソ展 図録 読売新聞社
3: ジローとピカソ
4: 出典:猪熊 弦一郎 イン ニューヨーク1955−1977展 図録
5: 出典: Working at Home