木のお話2(ケルトの木の知恵) |
こんばんは、なにか空気が春の宵という雰囲気ですね、もう少しだけ温度が上がれば最高なのに。東京の桜はまだ蕾みが開いていない様ですが、もうすぐですね。今日は、昨晩修理をした座卓をウレタン塗装(最終のウレタンコートは外注)して、納品してきました。欅の0.2mm程の薄い付き板なので、かえって修理がたいへんでしたが、なんとかこなしました。あまり経験の少ないことでも、〈なにをどうやるべきか〉対応がだいぶ早く成ってきました。工房と住まいが一緒になっているメリットですねきっと。家具の職人歴20数年という、蓮華草元町工房(リンクしています)代表の内田さんという強い味方と知りあえたのも、その一因でしょう。彼については、又詳しく紹介するつもりです、偶然ですが、高校の後輩でもあります。
16日、サッカーの欧州チャンピオンリーグの決勝トーナメントで決勝ゴールを奪った本田選手の言葉「日本人初とか興味がない。僕が目指しているところははるか上なんで」と実績と自信にあふれた勇ましい言葉ですね、こういう若者はほんとに好きです。年とジャンルは違いますが、私も無垢の注文家具の世界で「はるか上を目指しています」そのためにも、この仕事で毎日一歩ずつ、自分の技術の進歩が確認出来る幸せを、強く感じでいます。なにしろバルセロナのあのメッシでさえ、「日々サッカーのプレイがもっとうまくなりたい」と言ってるんですから、あのメッシがですよ。
(注 サッカーを見ない人達の為、メッシは現在、世界最高の天才サッカープレイヤー)
トネリコは古代の数多くの文化のなかで、信仰の中心を成しています。ギリシャや北欧では、最初の人間はトネリコから生まれたといわれています。北欧の伝説によれば、トネリコは世界樹の、そして普遍性のシンボルであり、根や枝を世界中に張り巡らせ、神の国とこの世と黄泉の国を結びつけていいるようです。ギリシャ神話に登場する女神ネメシスも、正義を行うため、トネリコの枝を常にもっていました。またヴァイキングが自分たちを「トネリコの人間」と呼んでいたことはよく知られています。またトネリコは「バランスの木」また「結婚の木」でもあるので、内なる世界と外の世界を一体にするものでした。 トネリコは完全な調和のなかで、天に向かって枝を高く延ばし、根を深く大地に張っています。ケルト人にとってはこの姿が宇宙の秩序の象徴に見えたのです。
ケルト人はトネリコのように、みずからもまた宇宙を構成する不可欠な要素だと考えていました。
どんな振る舞いも思想もすべては果てしなく続く連鎖をなしており、それらがより集まって全体を形づくっている。この世で起るいかなる事も他の存在のレベルに影響を及ぼさずにはいないと信じていたのです。存在の環は互いに無縁であり得ないので、あるレベルで起ったことはそれが何であれ、他の2つのレベルに波及するのです。すべての行動は反作用を引き起こし、そして何事もそれ自体では完結しない。(仏教と似ている!ー山梨)とケルト人は信じていました。私たちは宇宙の秩序を構成するかけがえのない要素であり、決して終わることのない環になってめぐる命に存在の中のなりゆきから逃れることはできないのです。ケルト人にとってトネリコはこうした宇宙の真理の守護者でした。
●トネリコの教え
宇宙の秩序を理解し、みづからに課せられた役割に目覚める
ことで、ケルト人はこの世に存在するという深い感覚とその
目的を見出していました。現代の熱に浮かされたような私達
の日常生活は、自然界のサイクルとははるかに遠ざかって
おり、しばしば真の目的を見失っているようです。トネリコ
は、生命の根源から切り離されてしまった人間の精神の孤独
を癒してくれる鍵なのです。大地に足をおろし、そこに属し
ているという感覚を教えてくれるものなのです。ケルト人は
トネリコを目にするたびに、「3つの存在の環」が互いに関係
しあっていると考えていました。トネリコは私達にも、現在
は過去の延長上にあるのだから、今日という日をを前向き
に生きていけば、その先には明るい明日が待ち受けているの
だと教えています。いつもバランスを心がけ、対極にある
ものを融和させる努力を怠らなければ、トネリコのように、
自分達のなかに調和を生み出すことができるのです。
なにかケルト人の自然と調和して暮らしていく、という思想はすごく日本的でかつ仏教的です。
ともあれ、私にとってAshはたいへん丈夫で、ワレにくく しかも軽いすごく使い易い木です。
ただ杢目が少々大きく欅的なところが少し繊細さに欠けます。こんどは国産のトネリコを試して
みるつもりです。長々のおつきあい有難うございました。それではまた。
出典:ケルトの木の知恵 東京書籍株