豪華さについて シンプル&ナチュラルについて |
今日は作品が仕上がったので、時間が少し出来たので続けてUPします。さて私のご贔屓のデザイナーにブルーノ・ムナーリさんがいます。そうですヴィコ・ マジストレッティやP ・リッソーニと同じくイタリア人です。
どういうわけか、私はイタリア(特定の人ですが)のデザインが好きなんです。
車のデザインの場合、1920年頃から70年代ぐらいまでは、イタリアデザインが世界をリードしていましたから当然と言えば当然ですが、私が曾て愛したイタリアンカーデザインの巨匠達はすでに亡くなり、現在の若い世代のイタリアンカーデザイナーのなかには、正直言ってあまり才能を感じる人達はいなくなりました。イタリア人のステレオタイプはマンジャーレ、カンターレ、アモーレで食べて(飲んで)歌って、愛する 楽天的でノーテンキの代表のように思われていますが、マキャベリをはじめ論理や考察の世界で名をなしている人も沢山います。そうバカにしたもんではないんですよ、なんたってブルネレスキやダビンチの末裔ですから。
何故イタリヤデザインが好きなのか?人にもよるし、一概には言い難いですが、突き詰めて言うと〈こだわりの無さ〉が一番良い言葉かもしれません。ものすごく洗練されて、斬新なものでもきちんと機能的で使えるデザインが多いのは、なにか偏って形だけ、機能だけという道にはほとんど入り込まず、良いバランス感覚で製品をまとめます。これは決して形態の探求をいいかげんにしていると言うのではなく、ほかの要素(例えば人間工学、構造力学、流体力学、社会心理学等々)とうまく調整して、最も適した形に昇華させる力が、自然と身についている感じですね。製品を見た時に、無理がないというか、どんなに新しく見えるものでも、なにかほっと安心できる何か(普遍性か?)を持ってるんですね。ここがすばらしい。
あれ!ムナーリさんの話しでした。ブルーノ・ムナーリ(1907年〜1998年)ミラノ生まれのプロダクトデザイナー、グラフィックデザイナー、絵本作家、造形作家、映像作家、彫刻家、詩人、美術教育家、後期未来派に参加し、1933年代表作 《役にたたない機械》を発表となんでもござれの才能満載の人ですが、代表作の名前からして、荘子的で、東洋についての教養もある人です。1985年には東京、青山の〈子供の城〉で《大ムナーリ展》開催等。いろいろな賞にも輝いて、世界的に活躍した人です。この人の本はほとんど読んでいて、デザインに対する考え方はすごく健康的で正当で、私と考えが一致する事も多く、しかも柔軟でウィットに富んでいるので、いつも参考にしているんですが、最近《モノからモノが生まれる》という本を読んで、その中から「豪華さについて」という文章を抜粋してみます。
ーーー豪華さは、貧しい人をびっくりさせようとする野蛮な豊かさの表れである。これは外見に与えられた重要性の表れであり、文化的向上などということにはまったく関心がないということの暴露である。つまり豪華さとは、実質にたいする見た目の大勝利のことである。
豪華さは、他の人を見下したいと感じる大勢の人にとっての必需品である。他の人に教養があれば、豪華さは偽りと知っているが、物シラズならば、豪華に暮らす人のことを褒めたり、もしかするとうらやましがったりするかもしれない。ところで、物シラズからの賛辞に関心を示すのは、いったいどんな人たちだろう?それはたぶん愚か者だ。
豪華さとは、じつは愚かさの表れなのである。〈例 :金の蛇口は何の役に立つのだろう?もしもこの蛇口から、汚染された水が出ていたら、同じ費用で浄水器を取り付け、蛇口は普通のままにしおく方が賢いのでは? つまり、豪華さとは、高価な素材を誤用することであり、機能を改良することではない。要するに、バカのなせる業なのである)なかなか手厳しくて面白いでしょうー山梨 既に、すごく長くなりましたので、今日はこの辺で止めておきます。それでは皆様
おやすみなさい。次回をお楽しみに
写真 上 豪華なベッド 出典 モノからモノが生まれる 著ブルーノ・ムナーリ みすず書房
写真 下 出典 CONFORT No109 2009/Aug より