日本の美 その9 |
日本の美と銘打って、恐れ多くもずうずしくも“桂”を取り上げまして、なんだかんだと浅学をさらしている訳ですが、まあ日本人は、少し名(メイ)という字がつくと、有り難がり過ぎる帰来があって、特に芸術、美術関係は、普段なじみが無い分、構えてしまう傾向があるようですね。少しレベルの高い話題になると、学者の様にしゃべりたいと考えたり、なにか詳細で正確な知識を持たなければいけない様に思う所が、僕を含めて多くの日本人の持つ土着的でおしゃれじゃない価値観、のベースになっている様な気がします。フツウの3時のオヤツの話題が「桂の美について」ぐらいになれば、日本人の美的レベルも本物になるのかもしれません。軽くいきましょう。
さて前置きはこのくらいにして、気軽に本題にはいります。桂の美しさが今でも通用する普遍性がある理由です。第1に、これは梅棹氏も指摘しているところですが、桂は、美と快楽のためだけに出来ている点、権力や権威のみならず、なにものも象徴してないという所。とかく封建時代の建物や建造物は、王様や権力者の力をシンボライズ(象徴)した物が多いですが、規模やりっぱさに感心する事はあっても、何か、おしつけがましいところが往々にしてあるものです。(写真:桂 笑意軒)
第2としては、とにかくモダンで明るい事、いつの時代でも、その時代の一般的な価値観や常識を飛び越える事がモダンの必要条件ですが、現代の木造建物と比較してもはるかに
軽快でモダンです。古書院、中書院、楽器の間、新御殿と続く一連の神殿はピロティ(高床)形式で古書院から時を経て順々に建て増されたという事ですが、全体と部分とのバランスや雁行形のリズム感、屋根の稜線などは、私には、最新のランボルギーニ(伊のスーパーカー)のボディラインを髣髴とさせます。広縁を支える連続したむきだしの柱の一本一本は細く華奢な感じさえします、しかしこの材の細さがキモですね。障子戸の枠の細さ、高床の床下の開口部を隠すための縦格子の隙間の細さ等 繊細かつ華麗という事になるでしょうーどうしても。私には、現存する同時代の別の建物と全然違うように見えますが、その辺の建築事情に詳しい方がいらっしゃれば、コメント等でぜひ教えて下さい。現代でもこれだけモダンですから、今から400年前の当事、建築当初はさぞかし超モダンな建築物だったんでしょうね。今日はここまで。to be continued