今という時代、何が本物だろう?その5 |
さて今日は、先回の続きで、アメリカの住宅のどんなスタイルが、日本人にどのような動機で受け入れられたか?当時の、アメリカ本土の住宅事情や生活模様をふくめて、結果的に日本人の家というものに対する概念にどのように(悪)影響を与えたか?を少し探ってみようと思います。
16世紀にスペインが最初に北米大陸に入植、そして欧州主要国、オランダ、英国が次々と入植、1776~83年の独立戦争を経て、アメリカ合衆国が出来たわけですが。 住宅様式の分類上、独立前の住宅様式を総称して、アーリーアメリカン、もしくはコロニアルと呼んでいます。欧州各国の入植者が、自国の家をそれぞれ建てたのですから、一口にコロニアルと言っても様々なものがあるわけですが、大きく分けると、
1 スパニシュ・コロニアル、2 イングリシュ・コロニアル、3 北欧系・コロニアル、4 フレンチ・コロニアルの4種に大別できます。この辺の詳しい米国住宅の歴史に興味がある方は
hereで観て下さい。
さて戦後1945~50年ごろのアメリカでは、住宅の大衆化が進み、家がキットで売られるようになり、国は早くも19世紀に、住宅ローンのシステムを作り上げ、土地は国有か州有なので、ほとんど無料で提供されたため、個人個人は、さしたる困難もなく、住宅を購入出来ました。
1906年にミシガンのアラジン社、08年にはシアーズ・ローバック社がキット住宅を売りはじめ、その内容は、設計図、建設手順書、住宅部材(プリカット)、5~15年のローンがセットになっていました。シアーズは1908年~1940年の間の32年間に370種のモデルプランを提供し、7万戸が販売されました。
このころアメリカで一番流行つた住宅形式はバンガローハウスとよばれるもので、間口に対して奥行きが広く玄関前に柱つきののポーチがついていました。今でも、アメリカの低中流の住宅街で一番多く見かけるものです。そのほか、独立戦争前のコロニアル様式も大変人気があり、コロニアル・リバイバルと呼ばれました。
上の画像2は戦後建てられた洋館の代表的なものですが、最上の画像1のシングルと呼ばれたモノににています。しかし、日本に入ってきたのが、どの様式だったかは、あまり意味はなくて、アメリカ人の住生活、例えば、アメリカ人は文明国人の中では、一番引越しをする民族で、生涯に日本人5回、英国人8回に対し、14回も引越しをする、社会的モビリティの高い国民であること、そして社会的立場(階層)にあわせて、移り住むのが一般的といわれています。サラリーマンの階層、平、課長、部長、リタイヤという立場に合わせて、一生に4回、家を移り替えるのが、普通だと考えられています。そして、その階層にふさわしい家の様式があり、それを適切に選んで住み替えています。住宅街などの小単位のコミュニティは比較的同じような、階層で構成されていて、隣近所との交際の基礎となっていました。
あくまで比較上のことですが、日本人は思惟、行動に関して、感情的で、論理的、分析的な思惟は苦手だとされています。 戦後の混乱期という環境もありますが、日本人がアメリカ文化に憧れ、それを住宅の様式として取り入れた仕方は、まさに直感的で、テレビで観たあの明るく楽しそうで文化的な生活がほしいという、感情が先行し、それが、家の等級とすれば並以下(多くの当時のアメリカのテレビ番組に出てくる家庭は、ごく普通の中、もしくは中の下ぐらいの階層の家庭だった)のものに憧れ、それが大量生産で出来た、キットハウスで、アメリカでは、ごくありふれた家であるということは考えませんでした。
丁度ラーメンをすべての中国料理の代表と思う(今では笑い話ですが、戦後でテレビが無かった時代に実際にそう思っていた人々も多かった)ようなものだったのです。
ここにその実例があります、直下の3枚の画像は逗子の披露山という高級住宅地に建てられたあるお宅で、オーナーは、幼い頃アメリカのドラマに出てくる家が立派だと思い、親にたずねると、あちらでは普通でといわれ、以来ずーっと憧れをもち、大人になり、普通以上のものを建てたということです。この場合は、親が知識があり、アメリカでは普通ということが解ったので、結果、普通以上のもが建てられたわけですが、多くは、普通をすごく立派だと思い込んで、(モノを初めて見たときの記憶、いわゆる”すりこみ”の影響はたいへん強い)何十年後に家を建てる経済力がついた時に、かつての憧れの家を建てると、それがアメリカの低所得者の住まい並のものだったという、悲しい物語が相当あったのでしょう。今の日本の町並みが根本的に貧しい原因の多くがここにありそうです。
上3点の普通以上のものでさえ、その上の11イタリアンビラの画像(アメリカのコロニアル・リバイバルの1種)と良く似ています。オーナーはアメリカの住宅に憧れて建てたのですから、一応完結はするんですが、コロニアル・リバイバルのイタリアンヴィラ自体が、本物のitalian villaと比較すると、やはりなんとなく安っぽく、偽者に感じるのは私だけでしょうか?
丁度仏教が中国を経て日本に移入された結果の2重の焼き直しによる誤差のようなもの、アメリカ在住のイタリア移民が、自分の国を懐かしんで、アメリカにある材料と手段で、イタリアのvillaを建てるときの誤差、そしてそれを日本人が憧れ、日本で手に入る材料と手段で建てる時の誤差、この2重の誤差は、いかんともし難い(と私は感じる)。
悪口をいうつもりはさらさら無く、冷静な批評ですが、上の2枚のリヴィングの画像を観ても、右の廊下のような空間の狭さ、左の凝ったつもりのモダンなコーナーの開口部と上に並ぶ明り取りの窓の、なんともクラシックな家具とのミスマッチ等々、私にはfakeにしか見えません。
例えば食に関して言えば、今の日本はミシュランの星をとっている洋食のレストランは多いし、海外で本場の味を学んできたシェフ、フランスやイタリアの本場で一流として認められている日本人シェフもいます、何が本当のフランス料理やイタリア料理かということが、シェフ達のみならず、一般にも浸透してきているからだと思われます。1960~70年代では、スパゲッティひとつをとっても、街のスナックで出てくる、ゆですぎたグニャグニャのものにトマトケチャップをまぶしたものが、スパゲッティだと多くの日本人は思っていました。
戦後50年かけてやっと外国の食の何が本物か偽者かが解ってきたということです。
この点、日本人の住に関しての認識と経験は、まだまだ相当遅れているのではないでしょうか?
ものすごく長くなりました、今日はこのへんで終わりにしたいと思います。皆様おやすみなさい。
直下の1枚の画像はコート・ダジュールのサン・ジャン・カップ・フェラにある、これぞ本物のvilla ヴィラ・エフルシ・ド・ロスチルド、 ロスチャイルドの別荘です。 比較してはきのどくですが、上の物件とは雲泥の差があります。その下の画像はイタリアコモにあるvillaのプール